重いコートを脱ぎ捨てて—新たな旅立ちに

きのう/きょう/あした


2009/03/31(火)
 昨日は、2期8年間務めた教育委員を退任(3/28付け)するにあたり、市長、副市長、議長、副議長、各会派への挨拶回り。
]   実のところ、2月ぐらいまでは、これまで吹田市では前例のなかった「3期目」も、任命者である市長と推薦母体の間では話がまとまっていたのだが、私の日教組の教研集会での講演がマスコミによって取り上げられたことによって一部の議員が問題視し「御破算」となったのだった。(日教組大会での講演をめぐっての「ことの顛末」は、そのうち改めて書くつもりであるが、とりあえずは一部の議員に配布した私の立場はアップしておく。)
  市長や副市長は、「力及ばず申し訳なかった」と昨日も詫びられたが、私としては、むしろこれでよかったのだと思っている。他市では何期も委員や委員長を務めている例はあるようだが、やはり長く一つの地位に留まることは悪弊を生むだけである。
  潮時というものがあるのだ。「ああ、あれをやり残したな、そういえば、これも・・」と余韻を残しながら去っていくのがまさに「男の花道」ではないか。しかも、桜の花が今咲かんと、その幹を赤く染める季節には。

   4年間続いた東京の仕事もこの3月でようやく終わり。最終報告書を昨日の深夜に提出した。普通は当然2年でお役御免のはずだが、改革すべきと自ら申し出て、更に2年間の新たな仕事を引き受けたのだった。
  物好きと言われそうだが、この2年間の仕事は本当に面白く、有意義だったと思う。延べ約240時間に及ぶ、真剣な討議。恐らく本務校の同僚とでも、これだけ長く一つの問題を議論することはないはずである。一緒にこの仕事を引き受けていただいた7人の先生方に感謝している。いつか、またこの先生方と一緒にやりたいものである。

  ところで、胃癌の方だが、これも2月2日に入院、3日に内視鏡的粘膜?離手術を行い、10日は退院出来た。その後、切り取った検査でも、他の場所への転移は見あたらず、深さも0.4mmぐらいで、粘膜下層までで、何とか「セーフ」。この後、5月に胃カメラで検査をし、それで問題なければ、それからは半年に1度ぐらいの検診ですみそうである。悪運が強いというか、もう少し、「生き長らえろ」ということなのだろう。

  いずれにせよ、何か一つの区切りを迎えたような、そんな春である。
  何よりも、明日からは19年勤めた文学部から新学部に移籍する。
  重いコートを脱ぎ捨てて、今、また新たな旅立ちである。でも、これまでとそれほど違った生き方も出来ないことも事実である。
  そう、やはり、「今日までそして明日からも」である。