事業仕分けー「声なき声をこそーその2」
2009/11/29(日)
私は、民主党が実はこれまでの政党以上に成果主義、業績主義であり、小泉や橋下以上の劇場型であると思っている。そしてその一つの典型が事業仕分けである。
これまで「藪の中」であった予算策定を白日の下にさらし、「国民」のミーハー的感情を味方とするやり方である。
その方法には問題はあるが、それでも、これまで国民には無縁のものであった国家予算が、いくらかは身近になったという点でメリットは大きいものがあると私は思う。
その仕分けにおいて、スパコンが削られたり、大学への交付金の見直し等々が言われ、それに対して国立大学の学長たちや、ノーベル賞受賞者の先生方が、研究者の立場から科学研究の重要性を説いて異議申し立てを行っている。
研究者の端くれとして、科学技術立国を目指す日本の立場もわかるし、スパコンの重要性もよく理解できる。国立大学に限らず、大学の研究予算削減が、科学研究に大きな支障をきたすことも分かっている。
現に、私が関係しているG-COEでも1/3の予算縮減は極めてゆゆしき問題である。これでは世界に通用する若手研究者の育成などできるはずはない。しかも、それは一朝一夕に達成されるものではないのだ。成果はすぐに出るとは限らないのだ。
そんなことは十分理解した上で、あえて昨日の発言をしているのだ。
たとえば、何故、旧帝大7校と早慶2校の学長声明なのか。
これらの大学が他の大学、とりわけ地方の駅弁大学の何十倍もの予算をもらっているという事実はどうなるのだ。
また、研究者には科学研究費というものがある。
これも国立に厚く、しかも旧帝大に厚く、また文系と理系と比べたら明らかに理系が何倍、何十倍も多いのだ。
しかも、その決定過程が実に不明瞭である。
私なんかこの3年間、毎年申請しているが、いつも不採用だ。思い上がりと言われるかも知れないが、一体、私たちが申請する分野で、私たち以上の研究成果をあげている人がそんなにいるとは思われないし、その審査が可能な人がどれくらいいるというのだろう。
こうした不条理を語らずして、今回の予算縮減はけしからんというのが、私は腑に落ちないのだ。
今回も確かに大いに不条理であるが、それなら、これまでの不条理はどうなるのだ。
そして、何よりも旧帝大7校と私学の2校での声明やノーベル賞受賞者が声を上げればマスコミは取り上げ、政府もびびるということが、実は「権威主義」そのものであるということだ。
彼らはそれだけの発言力、決定力を持つのだ。
同じようなことが、スポーツ予算でも出てくるはずだ。
実力者が出てきてものを言えば変更される、つまり、「言った者勝ち」ということが問題なのだ。
要するに、今回の問題はスパコンの予算を削る削らないとか、科学技術を重視するしない、大学の研究予算をカットするか否かの問題とは切り分けて考えるべきでというのが私の考えである。