とんだ勘違いと本日の収穫
2013/08/14/(水)
先ずは大きな勘違いから。
実は朝はシリアルいうことで「牛乳」を買ってあったのだが、どうも味が薄いというか味がない感じがしていた。自然食品のスーパーで買ってきているので、そのせいかと思っていたが、「Reis Driuk」ってどういうことかと辞書で引いてみたら「米の飲み物」。ぎょ?!ひょっとして米ぬか?かと思ってが、ネットで調べると「米乳」というようなもの。でも日本では「豆乳」はあっても「米乳」はね。まあ、身体にはいいのでしょうが、あっさり捨てました。でも、パッケージの絵は牛乳のようだが・・。
さて、今日はフランクフルト大学で思いがけない面白い資料に出くわす。
私の受け入れの先生は現在、ここの言語文化学部の学部長をしていて、色々便宜をはかってくれているが、今日はすでにこの大学からアメリカの大学に移った先生の残していった資料群を全て見せてくれた。彼女の居た研究室は現在誰も使っていないが、そこに彼女が上海図書館やカルフォルニア大学等々で収集してきた、蒙学関係、清末民初の国語運動関係等々の資料が大量に保存されているのだ。もちろん、原本ではなくコピーだが、初めて見る資料が多かった。
それらのうちで、私がPDFにしたもののうち特に面白かったのは以下のもの。
『京音簡字述略』『簡字全譜』『簡字叢録』『拼音官話報』・・これはいわゆる王照とそれを元にした初期の注音符号による北京音と南音の説明や、王照の文字を使って書かれた報刊。
『国語講義』『模範語』『国語会話』『国語示範』・・・王璞の「国語」の解説、教科書類。これも当時の北京音の実態を知る上で極めて貴重。
『新国語教本』(馬國英,1928)・・国語統一準備会の新國音に基づいた教本。
PDFを作りながら見た程度であるが、「国語」については、たとえば、『新国語教本』の「新國音の定義」では「標準地=中華民國の北平、標準人=中等教育を受けて北平で育った現地人、標準音=標準人の口になる北平音」としている。また『国語講義』でも、「国語とは何か。官話である。官話とは何か。我が国の一種の公共の言語である。・・・今、北京官話を国語の標準と定めることは誠に至極当然の理である。たとえば、ドイツでは各連邦に対してプロシャ語を、日本でも各府県に対してみな東京語を習わせるのもそういうことである」(『国語講義』)と述べている。
また、これらはいずれも「教科書」的なものであり、従って、教授法に関わることも述べられている。
「本文中で太字は『重讀』すべきもの。一つの文の中では必ず『軽重』を区別すべきであり、平板に読んだら極めて耳障りだし、また軽重はその意味する所とも関係している。たとえば、『我給你錢』という文で、もし『我』を重讀すれば『私がおまえに金をやるのであって、彼がおまえにやるのではない」・・・」(『国語会話』ほか)
これなど、今の日本の中国語教育で全く扱われていない問題である。そもそも、これをまともに教えられる教師は日本には存在しない。教授法に関しては熱心であるが、こうした基本が出来ていないのに、小手先の技術だけ議論して一体どうなるのか。そのことに気がついている人は実は案外少ないはずである。
ところで、今日見た資料の中で最も興味深いのは『蒙学報(書報)』というもの。
光緒23年頃の創刊であり、これの全貌については全く分からないが、この先生が残していった資料は主に、いわゆる「文法」の部分である。まず「中文釈例」で中国語の品詞分類を行っている。次に「文学初津」で単語の説明を上段に、その下に文章(論理の順接、逆説構造の文章など様々な文章の形式)をあげ、更にいわゆる「穴埋め問題」を付している。最後は「文法捷径」で文律を説明している。
当時の語文教育を知る上でも非常に面白いものだと思っている。誰か、やってみませんかね??
またこの『蒙学報』には「初学読本書 五歳至七歳用」という部分もあるが、これは丁度、『点石斎画報』のような新生事物などを画像付きで取り上げたもの。たとえば、「ピサの斜塔」の話題や、「クーラーの考案」など非常に面白い。
今回、フランクフルトでは資料等については期待していなかったが、それでも思わぬ収穫だった。
明日は、急にハイデルベルクに行くことになった。向こうの友人の先生が、朝、こちらに来ると言うことで、ゲストハウスまで迎えに来てくれて車で行くことになっている。