「有識者」の「良識」とは

きのう/きょう/あした


2013/09/07/(土)

 第4回日本イタリア院生フォーラムは無事終了。30本近くの発表を2日間でやるという強行軍だったが、院生たちは英語のPPTも予めちゃんと準備して、質疑応答もそれなりにこなしてなかなかのものだったと思う。ただ、今回は使用言語を日中英韓の4つとしたが、やはり日韓は欧米ではあくまでもマイナーな言語。ローマ大学の多くの教員、院生には分からない。次回からは、この際「英語オンリー」でいこうかと考えている。若いうちに英語で発表する経験を積ませることも大切であり、私たちの研究科の趣旨にも適っていることである。
 答礼宴会は「TOMOKO」で。随分と安くしてもらった。感謝である。
 院生諸君は多くは今日からローマ以外の都市に「資料調査」に出かけていった。また、このフォーラムに帯同した先生方も先ず沈先生が今朝帰国の途につき、明日は他の先生方も帰国する。こうして一人又一人と去って行き、10日に誰もいなくなる。何か寂しくなってくる。

 午前中はカサナテンセ図書館。午後は土曜日で図書館が閉まるので、久しぶりにカンポ・デ・フィオーレ広場に。相変わらずの賑わい。ここは人の温もりを感じさせる場所である。バルサミコ売りもバールも2年前に知り合った人がまだやっていた。
 ゲストハウスの部屋が変わったが、キッチンも中に付いていてなかなか快適。ここにあと11日間滞在することになる。

 ところで、今夜は2020年の東京オリンピック開催が決定した。阿倍などの「したり顔」が目に浮かぶ。「汚染水や原発の影響は全くない」だって?フクシマを置き去りにして何を言っているか。とにかく、彼らの頭には、「1日も早くフクシマを日本人の脳裏から忘れさせる」ことしかないのだ。
 ある人のFBで「東京 おめでとう!有識者としての対話の中で、ずいぶん前から応援してきたので、やはり嬉しく思っている。」という書き込みがあったが、失礼を顧みず敢えて言う。「有識者」を聞いてあきれてしまう。こうした「有識者」としての「良識」とは一体何なのか。故郷を捨てざるを得なかった人たちの心の叫びを聴く耳をもたぬ人が「有識者」であるはずがない。「有識者」とか「知識人」あるいは「科学者」「学者」というのは、一体どうあるべきかをもう一度考えるべきではないのか。
 かつて18年前、阪神淡路大地震の時に「フクシマ」をすでに具体的に警告していた故高木仁三郎氏の次のことばを耳の穴をかっぽじってよく聞いて欲しいものである。

 「科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心に希望の火を灯すものであるべきだ」(高木仁三郎)