君子たるもの
2013/09/16/(月)
昨日は日曜で図書館も休みなので、シエナの街まで出かけてみた。距離的にはフィレンツェよりも近いのだが、幹線を外れてローカル線なので時間が倍以上、約3時間半かかる。まあ、たまにはローカル線を乗り継いで、のんびりとした旅もいいものだ。
シエナに着いてまず驚いたのが、ホームから街への出口までの長さと深さ。なにせムービングウォークとエスカレーターを10個乗り継ぐのだ。相当な坂で山登りでもするかのよう。「まだある、まだる・・」という感じ。
出口に出たがいいが、そこから市内までのバスの乗り方が分からない。他の観光客もみな迷っている。こういう時は不思議と親近感が増すもので、見知らぬ者同士が、一気に仲良くなる。結局、皆で相談して歩くことにしたが、何とものの10分で市内に入るではないか。「地球の歩き方」も全然参考にはならなかった。
シエナ色というのがあるそうだが、それはこの町の色からきているという。黄色というか茶色というか、独特の色合いである。
カンポ広場にある「マンジャの塔」の上ると、シエナの街、トスカーナの風景が一望できた。20分ぐらい狭い階段を上るだけの価値はある。相当、膝に来るが・・。
夕方から雨になってきたので、他は見ずに駅に急ぐ。帰宅は夜の10時過ぎ。
ところで今日図書館で見ていた「対字本」というマニュスクリプト。これはどうやら三字句の対句を説明したもののよう。なかなか面白いのだが、その中の「秋陽暴、夏日陰」の「夏日陰」に対する注釈に妙に納得。特に次の下りだ。
「為君,當若冬日之陽,夏日之陰」
すなわち、「君子たるものは、冬の日の(柔らかな)太陽、夏の日の(暑さを和らげるやさしい)木陰のようであるべきだ」というのである。
ところが、今のこの国の指導者たるや全くこの逆で、「冬の冷たい木枯らし、真夏の容赦なく照りつける太陽」みたいなものではないか。
君子とは、上に立つ者とはどうあるべきかを今一度かんがえてみたらいいだろう。