新しい年に
2009/01/01(木)
また新しい年がやってきた。
特に例年と変わりはないが、それでも素直にいい年であればと思う。
昨年は暮れに邪気が一気にどっとやってきた。
ガンの告知に、義父の突然の死。
世の中はと言えば、世界的大不況と、懲りないイスラエルのパレスチナ攻撃。
特に後者は卑劣きわまりないものである。テロへの防御といつも同じ台詞なのだが、盗人にも三分の利もないへりくつに過ぎない。約束された土地と言うが、侵略以外の何ものでもないのだ。それをアメリカはいつものように見て見ぬをする。そればかりか、非はパレスチナにあるとまで言うのだ。まさにダブルスタンダードの典型である。
この国においても然りである。一方で地方分権を声高に叫びながら、一方では地方分権を踏みにじるという大阪の知事。携帯禁止など愚の骨頂である。これは教育の問題などではなくて、家庭の躾の問題である。いや、子どもたちに携帯を禁止するなら、先ずは大人たちの携帯のマナーを説くべきなのだ。電車に乗ったら、先ずは携帯を開ける。ひどい時には、座っている人全員が携帯をいじっている始末である。これは異常としか言い様のないものである。議会でも呼び出し音が鳴ったりするし、国会だって同じだろう。そんな大人たちの携帯社会を先ずは問題にすべきなのだ。
それにしても、筑紫さんの死はこの国にとっての大きな損失の一つである。安保でこの国のジャーナリズムはすでに「死んだ」のではあるが、それでも、筑紫さんはジャーナリズム復権のシンボルであった。この人の後には筑紫さんは存在しない。鳥越さんでも、立花さんでも、久米さんでも及ばない。ましてや、古館をやである。こうして、この国は昔来た道を確実に歩もうとしているのである。
私のガンの手術はいっこうに日程が決まらない。こんなにのんびりしていていいのかなと不安になったりもするが、自分ではどうすることもできないのだ。
今年もすでに海外への出張は6件ほど確定している。また忙しい1年になりそうだが、とにかく元気でいれればと思っている。