「判官贔屓」

きのう/きょう/あした


2005/02/11(金)

2・9のワールドカップアジア地区最終予選の視聽率は47%を超えたそうな。そういう僕も視聽率をあげる側にまわったその中の一人に入るのだろう。
それにしても、拉致や核問題で北朝鮮が世界中から非難を浴びているこの微妙な時代にあって、日本人の僕が北朝鮮を応援してしまうと言えば、それこそ「非国民」ものだろう。うちのかみさんなんかも「あなたはおかしい」と言う。確かにそうなんだろう。僕はおかしいのかも知れない。でも、こういう場合、僕は何故か日本を応援する気にはなれないのだ。そもそも日本が負ける要素は何一つない。だからこそ、僕は日本を応援しないのだ。いわゆる「判官贔屓」というやつかも知れない。
それと僕が日本を応援しないで、相手方に肩入れする理由はもう一つある。
在日の問題である。あの試合には2人の在日の選手が北朝鮮代表として出場していた。
この国がかつて、朝鮮半島の人々に対して犯した数々の国家的な誤りについては述べなくとも、いわゆる在日の人々がこれまで受けてきた苦しみは言わずもがなである。でも、彼らの爽やかな笑顔とプレイを見る時、思わず心の中で「頑張れ!」と叫んでしまうのである。と同時に、日本人として自国の歴史をありがままに認識することを「自虐的」とする昨今の風潮への呵責の念がわき出てくるのである。 それにしても、今回の試合は極めてクリーンなものだった。あの体制の中でも、人は生きているのである。
あの国は、あの国の指導者は「悪」だ。だから、「やっつける」。この論理の中では、そこで生きている「人」は問題にされなくなる。
そういえば、昨日見た「刑事 ジョン・ブック 目撃者」の中で、一人のアーミッシュがこう言っていた。「戦争では、人を殺せと言う。それしか方法がないのだと。でも、方法はそれ一つではない」