「夜回り先生」
2005/01/26(水)
1面白くないことが続いている。
NHK問題などその一つ。これが実態なのだ。今更、圧力があったか、なかったかなんて、分かり切ったことではないか。要するに、いざというときには、弱い者が負けるということ。「長いものには巻かれろ」それが、「民主主義」の本質かも知れない。
既存のものを、そのままに受け入れることも一つの立場。でも、僕はそれが実は一番嫌いな性分なのだ。最近僕が多くのことに「どうでもいいや」と考えるのは、その辺りの考え方の相違からきている。
ただ、そんな面白くない情況の中でも、先週見た「夜回り先生」には参った。以前からその人の名や、何をやっているかは知っていたが、正直言って「どのみち・・」といった気持ちがどこかにあった。でも、この人は本物だ。
個人の力には限界がある。あの先生のやっていることは特にそうだろう。でも、誰かやるだろうとか、社会が、この国がとか待っていては誰も救われないだろう。彼は「教育」とは「子供を守ること」「子供を救うこと」という根本原則を誰よりも分かっているのだろう。まさに、「命」をかけて、それを実践しているのだ。あの先生の行為を目にした時、教育基本法や少年法の改正が如何に無意味で、問題の本質からかけ離れていることかは明らかである。問題は、「制度改革」などではないのである。
今の大学の改革にしても実は同じこと。所詮、本質を離れた議論など、無意味である。
そういえば、アラン・ポーは次のように言っていた。
「もしこの点について、議論しようというならばね、それは、あくまでも原則そのものに対してでなくちゃならん。そしてそのためにはね、原則の理論的根拠そのものを、検討してみなくてはならぬ。(ポー「マリ・ロジェエの迷宮事件」)