“您”に関わることがら

0. はじめに

 この十年余りずっと気にかかってきたことがある。
 一つは、確かな日時は覚えていないが、恐らく近世語研究会(現在の近世語学会)で行われた、上海大学の錢乃榮氏による「呉語の人称代名詞の二層性」というタイトルの講演内容である。
 二つ目は、『華語拼字妙法』という一冊の本の中の一個所の記載である。
 三つ目は、これも近世語研究会(1992.5.31、於関西大学)での尾崎實氏による「您にかかわるいろいろなことがら」というご発表の中での奇妙な文字表記である。
 本稿ではこの三つの気になってきたことと“您”との関係について少し考えてみることにする。
 二人称代名詞尊称の“您”の来源については、これまでに多くの論考があるが、日下恒夫1977の記述に従って以下の三説にまとめることができると思われる。

 A: 你老人家〉你老〉你納〉您
 B: 複数起源説(すなわち清代以前の二人称複数代名詞“您”と清代以降現代までの二人称尊称“您”は連続するもの)
 C: “你能”“你儜”“儜”〉“您”(変音)

 AとCは近世語の“您”と現代語の“您”には断絶があるという点で共通している。日下氏の立場は基本的にはCの説に立ちながら、併せてAとBも認めるというものであるが、私も結論的にはそれに近い。ただ、今回そこに上記の「気になる」三点と欧米人の文献を若干加えて考えてみるということである。

1. 錢氏の講演内容ー呉語の人称代名詞における二層性

 錢氏の講演の中で私が興味をもったのは次の点である。(錢氏がその後これを論文の形で発表されたか否かは不明)
 すなわち、呉語の人称代名詞には各人称ともに二つの系統があって、そのうちの一つは二音節の系統であるというものである。
 たとえば、一人称単数は[N-]類のものと[Nn-]類のものがあり、二人称にも[Ni]類と[nn-]類があるという。後者がそれぞれ二音節であるが、第一音節は母音化された鼻音である。ただこの二音節は漢字で表記される場合、前の音節だけを表記する場合と、後ろの音節を表記する場合があり、一人称の場合、前者の時は「吾」「五」であり、後者は「奴、若、儂」となる。もちろん両方を表記したものもあり、明代の馮夢龍の『山歌』にもえる「我儂」はそれである。二人称でも同様に両方表記したものが上海地区民清縣志に見える「你儂[nnoN]」である。これは現在は単に[noN]とするという。いずれにせよ、第二類つまり二音節のものは呉語の比較的古い形である。

 錢氏の言われる「語頭の二音節」というのは、いわゆる「語頭の複子音」と言い換えていいように思うが、元来、複子音を持つ語が二つの漢字で表記されることは次のようなことからも明かである。

 上古時代の中国語には複子音が存在した。その後、漢字の影響によって、ある複子音は2つの子音に分裂しそれぞれひとつの音節形式となって2つの漢字で表されるようになった。たとえば、「角」と「角落」は元は一つの単語であり、本来の声母は複子音[kl]であった。この[l]が脱落して「角」となり、[k]が脱落すると「落」になる。2つの音節に分かれれば「角落」となる。この「角落」の2つの声母は[k]と[l]と異なるが、韻母は同じであり、たとえば蘇州語では[ko?lo?]である。
「路」「賂」と「格」「胳」も同様である。これらは古くはいずれも[kl]である。
(『現代漢語』錢乃榮主編 高等教育出版社 1990.4 p.5)

 「窟窿」と「孔」の関係も同じものであろう。
 なお、錢氏は人称代名詞の複数形についても面白いことを述べている。一つは単数形の後ろに語素を加えるもの。もう一つは韻母の形態変化によって表すものである。前者は北方語の你們の類であるが、後者は特に杭州湾の南北の広い地域にみれるもので、たとえば奉賢では“我若”が“我那”に、“實儂”が“實那”なる。上海語の“儂”が“那”になるのも同じという。

2. 『華語拼字妙法』における“您”のローマ字表記

 『華語拼字妙法』(Bryan,Shanghai Methodist Publishing House,1913)の記載とは次のものである。

你3,您2,ning, respectful term for 你.
  (您2,ningは你の丁寧な言い方) (p.21)

本書は以前にその音系について取り上げたことがあり(内田1991)、基本的には五声体系の「南京官話」の音系であるというのが私の結論であるが、この[ning]は一体何を意味するかである。南京官話や呉語地区では[n]と[ng]を区別しないことは明かであるが、この[ning]もその理由で解決できるかということである。なぜなら、[n]と[ng]の混同はこの[ning]だけに見えて、他の語には全くないからである。もちろん、これが「単なる誤植」とも考えられる。しかし、目立った誤植はこの本には他には見られないのである。やはり、[ning]という音節が存在したと考える方が自然である。
実はこれまでに“您”の音価として「ning」の存在の可能性について触れた方が一人だけおられる。それは先の日下氏であるが、氏は『光緒順天府志』(1886)、『清碑類鈔』(1917)、『北平風俗類徴』(1937)を援用しながら以下のように述べておられた。

 尊称の二人称代名詞に「ning」のような音節が、少なくとも清末の北京語には存在したと予想してもいいのではないだろうか。(p.8)

 要するに、北京語では少なくとも清末においては、二人称の尊称代名詞として「ning」の如き音節をもつ語が、口語層において使用されていたものとかんがえるのが自然である。(p.9)

 日下氏の引く文献での例証は次のものである。

 你老二字急呼之則聲近儜,故順天人相稱,加敬則曰儜,否則曰你,(光緒順天府志)
 京都人所用者。。。您音近凝,義似爾汝,施之於較己為尊者也(清碑類鈔)
 京兆方言特別字。。。您讀若凝,實南方“你老人家”四字之省文也(北平風俗類徵)

 これらの例と『華語拼字妙法』における音注を考え併せてみると、清末あるいは1900年代の初めまで[ning]という音価が確かに存在したことが言えそうである。
 なお、日下氏は更に『舊京瑣記』を引いて、[lin]という音の可能性も指摘された。

   然遇尊長,則必曰您,讀如鄰,非是則不敬

 この[lin]の音は、Premare(1847)<注1>でも以下のように示されている。

 There are wo 我 I, ni 你 (or very rarely lin 您) thou, t’a 他 he.(p.31)

 もちろん、ここの“您”が尊称か、あるいは複数形かは俄には判断しかねるところではある。ただ、この記述の前に、

 Mun “們” and tang 等 also denote plural:e.g. ta mun 他們they; ye mun 爺們my lords; ni tang 你等ye or you. We also find mei每 ; as wo mei 我每we.(p.30)

 ということがあって、この該当部分になり、また“您”が「我、你、他」と並べて述べられているところから「尊称」と考えられる。とすれば、“您”の登場はこれまで考えられてきたよりも早まる(すなわち、このPremareの言語が反映している1720年代頃)ことになるが、今は意見を保留しておく。
<注1> Premare(666-1735?,中国名を馬若瑟)はフランスのイエスズ会宣教師であるが、1698年に来華し、江西省袁州府で二十五年間の宣教活動を行った。彼の中国語文法研究は後生の学者、たとえばM.Abel.RemusatやSummersなどの高い評価を受けているが、当時フールモン(Fourmont,1683-1745)によってその内容を剽竊され、フールモンの妨害によってその書物(原稿)長く陽の目を見ることがなかった。1831年に至って、ようやくモリソンにより出版された(Notitia Linguae Sinicae,Malaccae,1831)。その後、各国語版が数多く出版されたが、英語訳はBridgmanによってThe Notitia Linguae Sinicae of Premare,translated into English,Canton: Printed at the office of the Chinese Repository,1847として出版された。このように正式な出版は遅れたが、その書における言語は1700年代のものを反映したものと考えることが出来る。
 該当個所のラテン語版(1831,モリソンによる出版)では以下のようになっており、[gin]の音が与えられている。つまり、“人”“認”“忍”“任”と同音である。

 tu 你 ni vel etiam 您 gin (42p)

3. 二人称尊称の文献での現れ方

 二人称尊称の各種文献での現れ方は、尾崎1992によれば以下のようである。

 『庸言知旨』(1802序、1819刊)  你呢
 『正音撮要』(1810)  你儜
 『洋漢合字彙』(1831)       你納
 『正音咀華』(1836)   儜
 『癸巳存稿』(1847)  你儂
 『菉友臆說』(?)  你那
 『品花寶鑑』(1849)  你能
 『顧誤録』(1851)  您
 『語言自邇集』(1867)  你納,您納,您
 『英漢韻府』(1874)  你呀
 『官話指南』(1882)  您
 『漢語入門』(1899)  您
 『老殘遊記』(1906)  儜那

 これを見れば、“您”が成立するまでの過程として、[ni-na]の系統と[ni-neng]<注2>の系統があることがわかる。また、いわゆる北方の満漢課本類では[ni-na]であって、南方の「正音」課本類では[ni-neng]という大まかな見方も出来るであろう。
<注2> 漢字表記としては“你儂”“你儜”“你能”となるが、たとえば、『正音撮要』では次のように言う。

 你儜怎麼這樣說呢。我這程子。也有點事兒。總離不了家。儜泥耕(23b)

 また、『癸巳存稿』でも以下のようにある。

 你儂偺門
 京師語稱你儂,音若你能,直隸則通傳為你老,你儂者,即古言爾,詩云,豈不爾 思,畏子不敢,爾以親所愛,子以尊大夫,孟子言爾汝,賤之之詞,後人爾汝之歌,則又親之,詩天保,指君為爾,則尊之也,你儂者,尊之親之,專言你,則賤之矣,

 つまり、你儂も你儜、你能も同じ音ということになる。 

4. 『語言自邇集』の成書過程と“您”

 少し本論とは離れるが、ここで“您”が登場する代表的な資料であるWadeの『語言自邇集』について概観しておく<注3>。

 Wade(Thomas.Francis.Wade,1818-1895)の『語言自邇集』は初版が1867年に、第2版は1886年、第3版は1903年に出版された。
 いわゆる「北京官話」を中国(語)における「国語」としての明確な位置付け4を行ったという面から中国語史の資料として、また近代日本における中国語教育への影響5という面からも極めて重要なものである。

 『語言自邇集』初版(全三巻)の構成は以下の通りである。
 <第一巻>
 (I) Pronunciation (発音)
 (II) The Radicals (漢字の部首)
 (III) The Forty Exercises 散語四十章
 (IV) The Ten Dialogues 問答十章
 (V) The Eighteen Section 續散語十八章
 (VI) The Hundred Lessons 談論篇百章
 (VII) The Tone Exercises (声調練習)
 (VIII) The Chapter on the Parts of Speech 言語例略(十三段+附編)
 <第二巻>
 第一巻の第三章から第八章の中国語について、英訳し注を施したもので、「Key」と呼ばれるもの。
 <第三巻>
 附録

 なお、第2版では、第六章の「續散語十八章」が削除され新しく「踐約傳」(西廂記の話)が入れられた。また、第三章の「散語」も大幅な改訂が加えられているし、第四章の「問答」の十番目の問答の入れ替えが行われ、第八章の言語例略の附編(第十四段)も削除された。

 ところで、これらの各章の言語は必ずしも均一ではない。それは、恐らくはその元になったテキストの違いというところにあるように思われる<注6>。
 『語言自邇集』の成立に関しては、これまでに中国人教師「YING LUNG-T’ien 應龍田」の存在<注7>と、『清文指要』との関わりが取り上げられてきた。
 たとえば、高田時雄1999は、『語言自邇集』の成立を中国語における「北京語の勝利」としてとらえ、かつ中国人教師「應龍田」の先行業績である『問答篇』の発見等々『語言自邇集』の成書過程を探る上で注目すべき論考であるが、以下のように述べている。

 ウェイドは1847年に中國語教師として應龍田を雇い入れている。この人物がウェイドの中國語に決定的な影響を與えることになる・・(p.3)

 中國人教師、應龍田はウェイドのためにかなり多くの北京語教材を作ったと見られる。その多くは既成の材料を用いたものだが、時にはかなり自由に書き改めたりもしている。それらの言語教材をウェイドは一種の試行本のかたちで出版している。『尋津路』刊行の翌年、上海で出された『問答篇』『登瀛篇』の二種がそれである。(p.6)

 『登瀛篇』は、上述のように、現在見ることが出來ないのだが、その内容はどうも『自邇集』初版本のPartVに當たる「續散語十八章」であったらしい。『自邇集』初版の序文に、この「續散語十八章」の成り立ちを説明して、「ここに含まれる文章はずっと以前に應龍田の書いたより大きな短文集の一部であって、その中國語原文に私自身の手になるものを若干付け加えて1860年に出版したことがある」<注8>と言っているからである。(p.6の注13)

 「你納」という表記は、恐らくは應龍田の發明で、『自邇集』獨特のものと思われるが、『自邇集』が流行するにつれて、これを採用する書物が他にも現れている。そのことで気になるのは『語言問答』という書物の存在である。小型の綫装一册本で、52葉+35葉、刊年、刊行地とも一切不明である9。その内容は、前半が書名と同じ「語言問答」、後半が「續散語十八章」となっている。この書の中には「你納」が頻見し、かつ後半の「續散語十八章」は『自邇集』初版のPart V. The Eighteen Section 續散語十八章と完全に一致するのである。・・・おそらくこの書物は、注13で觸れた「ずっと以前に應龍田の書いたより大きな短文集」なのだと考えられる。従って前半部の「語言問答」は遂に『自邇集』に含まれることのなかった、準備段階の數多くの資料の一つということになる。(p.9)

 この最後の引用個所は“你納”に関わることでもあるが、私の見解と若干異なる部分があり、それについては後述するが、いずれにせよ、特に『語言自邇集』の「談論篇」と『續散語十八章』の成立過程は次のようになる。

   『清話百条』(1750)->『清文指要』(1809)->『問答篇』(1860)->『語言自邇集談論篇百章』(1867)
 『語言問答』(?)->『語言自邇集續散語十八章』(1867)

 ただし、これまで『語言自邇集談論篇』(それはまた『問答篇』でもあるが)の元本とされてきた『清文指要』との関係については些かの疑問が生ずる。
 確かに、『語言自邇集』には『清文指要』という書名が見え隱れする。

 現在念的,都是甚麼書。
 沒有新樣兒的書,都是眼面前兒的零碎話和清話指要,這兩樣兒(談論篇五)

 那清文指要,先生看見過沒有。
 仿佛是看見過,那是清漢合璧的幾卷話條子那部書,是不是。
 是那部書。
 那一部書卻老些兒,漢文裡有好些個不順當的。
 先生說得是,因為這個,我早已請過先生,從新刪改了,斟酌了不止一次,都按著現時的說法兒改好的,改名叫談論篇。(問答十)

 ところが、これも太田辰夫氏が以下のように述べられているように、問題が残る。

 ただその順序は、初學指南および三合語録に近く、清文指要とは大いに相違していることはあやしむべき事である。(太田1951, p.22)

   今、付表1として、『自邇集談論篇』と『清文指要』等の順序を掲げておくが、恐らくは應龍田あるいはWadeが元にしたのは『初學指南』(1794)あるいは『三合語録』(1829の序文)であったと思われる。つまり、『自邇集』で言う「清文指要」というのは、書名ではなくて、当時流布していた『清話百條』系統の諸本であったと考えた方が妥当である。それぞれの書物に「清語指要」(『清文指要』六、『初學指南』五)とか「百條清語」(『三合語録』五)というように書名が一致しないのはそのことを示しているように思われる。付表2には、『自邇集談論篇』における“你納”の出現個所を他の諸本と比較してあるが、それを見ても『自邇集談論篇』や『問答篇』が参照したのは『初學指南』の可能性が高いが、これについては別稿で論ずることにする。

 さて、『自邇集』には二人称尊称に三つの形が登場する。

(1) 你納ni-na ・・ 71例(談論篇と問答に見える。散語にはなし)
(2) 您nin ・・・・・22例(問答と散語にのみ)
(3) 您納nin-na ・・3例(言語例略の附編のみ。)

 このうち、“你納”はすでに、『尋津路』(1859)にも

你納這麼大年紀了,比我們年輕的人兒還硬朗(124)
但其你納這幾年在我們一塊兒盤桓熟了(327)

のように2例見えており、その注には次のようにある。

 Obs. 1. ni-na, or ni-ne, you, is more respectful than ni alone.(11p)

 『語言自邇集』での“您”が「談論篇」には見えないことは注目してよいと思われる。つまり、『尋津路』や「談論篇」といったやや「古い」時代の北京語にはやはり、“您”はまだ確立していなかったということであり、その音も[ni-na]であった。以下の“您”についての英文の注もそれを暗示している。

 nin, more commonly pronounced ni-na, which, again, is short for ni lao jen-chia; politely, you my elder; you, Sir, or Madam. (Key,53p) (第2版でも同じ、126p)

 しかしながら、一方で付表2からわかるように、旗人語と言われる“阿哥”を“你納”に置き換えていることは“你納”はこの時代にはすでに「安定」して使われたことばであることも見て取ることができる。
 ところで、この“你納”について、先に高田1999を引いたが、そこで高田氏はこの“你納”が應龍田の手になるものとされたが、これは些か問題がある。
 実は尾崎實1990には、應龍田あるいはWadeより前に、ゴンサルベスに“你納”の使用例があることが報告されている。
 尾崎氏の引かれたものは、ゴンサルベスの『洋漢合字彙』(1831)であったが、それ以前のゴンサルベスの著作には“你納”が数多く使用されている。
 ゴンサルベス(J.A.Goncalves, 1780-1844)はポルトガル人で、ラザリスト会の宣教師であるが、1814年にマカオに到着し、当地のセント・ジョセフ学院で教鞭を執るかたわら官話と広東語を研究した。その著作には以下のようなものがある(いずれもマカオでの出版)。

(1) Grammatica Latina[辣丁字文](1828)
(2) Arte China[漢字文法](1929)
(3) Dicctinario Portuguez-China[洋漢合字彙](1831)
(4) Dicctionario China-Portuguez[漢洋合字彙](1833)
(5) Vocabularium Latino-Sinicum[辣丁中國話本](1836)
(6) Lexicon manuale Latino-Sinicum[辣丁中華合字典](1839)
(7) Lexicon magnum Latino-Sinicum(1841)

 これらの著作のうち、最後のものは未見であるが、まず1の漢訳対照ラテン語文法書には以下のように“你納”が使われている。

要他們記著我叔叔好,給叔叔請安,因為狠想你納,特望看(96)
所以我想說你納太冒失(188)
我求你納不要把這個話當不好意(188)
若你納給我治這個病,我就狠多謝你。(189)
若你納同我們去,我喜歡。(192)
送你納由不得我(192)
多謝你納(204)
你納貴姓(209)
你納多大歲數(210)

 2の『漢字文法』はゴンサルベスの代表的著作であるが、これにも以下のように多くの“你納”の使用例が確認できる。

平地起風波我沒有看見你納來理會(100)
你納來的巧(103)
你納貴處。(121)
還要煩你納給我細細的講各地方的生意(121)
托賴你納的情分我想看一看(121)
他是你納的好朋友(216)
你納幾歲(223)
你納乏了麼(225)
你納好,你納,納福(237)
好托你納的福,好托你納的恩(237)
你納身上也好(237)
我狠想你納(237)
是了,你納請(239)
請你納吃家常飯(246)
你納容易使快子(246)
你納也好(252)
請你納上去給老爺磕頭(252)
應當回你納的禮(252)
托賴你納的福(252)
你納貴姓(253)
你納貴國,你納是漢人是旗人(254)
請你納說要什麼書(254)
你納要賃這一所房麼(257)
請你納試一試(267)

 注目すべきは、この『漢字文法』の第五章「問答」が実は、これも先に触れた『語言問答』の問答全四十六篇そのものなのである。
 たぶん、應龍田やWadeがこのゴンサルベスを參考にしたことは、『尋津路』の以下の序文からも明かである。

 The best is perhaps Goncalves’s Arte China, but it is written in Portugues, a tongue few Englishmen under age have cared to cultivate.

 尾崎氏はゴンサルベスが「北京語を採用」した理由について、同論文において次のように述べられていた。

 ゴンサルベスは、欽天監で仕えるために、「ポルトガル伝道団から選ばれ、中国にやってきた。だから、マカオに着くとすぐに官話の勉強を始めた」(CALLERY)。結果として、この宿題は、最後まで達成されず、マカオで一生足踏みすることになったが、ポルトガルにとって、ゴンサルベスの北京行は、国威を一気に回復できる絶好のチャンスであったからである。

 つまり、Wadeが「北京語を採用した」背景には、このゴンサルベスの中国語観(それはつまり「北京官話の採用」ということであるが)があったと考えられるのである。

 なお、ゴンサルベス以降、Wade以前においてはEdkins(Joseph. Edkins,1823-1905)の『A Grammar of the Chinese Colloquial Language, commonly called the Mandarin Dialect』(1857年初版、1864年第2版)に“你納”の記述が見られる。

 In Peking 恁納nin na is used respectfully for you. Premare says 恁 jen is used. The dictionary gives nin, and this is corroborated by the pronunciation of native speakes. (1857,p.49)

 In Peking 恁納nin na [also written 你納 ni na] is used respectfully for you. Premare says 恁jen is used. The dictionary 五方元音 gives nin, and this is corroborated by the pronunciation of native speakes.(1864, p.158)

 初版では“恁納”という表記になっているのに対し、第2版で“你納”が現れているのは興味深い。つまり、1857年当時は“你納”はまだ一般的な言葉ではなかったということが言えるのかも知れない。Edkinsは特に第2版の改訂に際しては、Wadeの『尋津路』を参考にしたとその序文で述べており、“你納”の出現はその現れであろう。また、以下の記述のように、各種官話間の相違にも着目しており、他の部分でも「官話」を分類したが、それは特に第2版で詳しくなっている。

 Scholars who are native of Peking, distinguish the metropolitan dialect from the Kwan-hwa. Sounds used in reading, and words found in printed mandarin books, form the Kwan-hwa. Sounds not used in reading and words not found in books are referred to the local dialect. Of the personal pronouns, ngo, I, ni, you, are Kwan-hwa, while wo and nin-na are Ching-hwa, (1864, 8p)

<注3> 『語言自邇集』の成立及び先行の満漢課本との詳細な語彙比較等は別に論考を準備している。
<注4> それまでの宣教師を中心とする欧米人の「官話」とは、「南京官話」を標準としていたにの対して、Wadeは次のように述べている。
 Pekinese is the dialect an official interpreter ought to learn. Since the establishment of foreign legations with their corps of students at Peking, it has become next to impossible that any other should take precedence.(Preface,vi)
 北京語こそが公的な通譯官の學ぶべき方言である。北京に研修生を伴った外國公館が設置されて以降は、他の方言が優先されるということはほぼ不可能になった。(高田1999による日本語訳)
<注5> 日本人の手になる最初の北京官話テキストは広部精による『亞細亞言語集-支那官話部』(1879-1880)であるが、これは『語言自邇集』を元にしている。 
<注6> 尾崎1965でも次のように言う。
 「談論篇」は同じく「語言自邇集」の一部を構成しているにもかかわらず、他の章と比べてみると、やや古いことばで著されていることがわかる。また、再版本にみえる編集上の変化とともに、ことばの面でも新しい要素が加わってきており、同時に、当時としてあまりに特殊なことば・用法が刪除されていることもわかる。いずれも清代のことばであるが、単に「語言自邇集」といっても、テキストの系統によってことばの出入りのあることは知らねばならない。(p.12)
<注7> 中国人教師「應龍田」の存在については、かつて尾崎實氏も少し触れられたことがある。
 つまりWADEは1851年、「清文指要」を買い求め、Ying Lung-t’ien先生について再編し直したのである。(尾崎1965, p.6)
<注8> 原文は以下の通り。
 The phrases contained in each of its eightenn pages are a portion of a larger collection written out years ago by YING LUNG-T’IEN. I printed the Chinese text of this with a few additions of my own in 1860. (Preface,x)
<注9> 筆者も1998年の暮れに、偶然、ベルギーのカソリック・ルーバン大学図書館の未整理の漢籍の中からこの本を発見し、複写を手元に置いてある。ただし、高田氏の保有されている複写物とは別の版本のようで、前半の53葉しかなく、後半部分は収められていない。なお、ルーバン大学のこの未整理の漢籍は、解放前に中国にあったベルギーのカソリック系の学校から引き上げたものであり、この『言語問答』はカソリック系の出版物であったことが窺い知れる。

5. 『清文指要全冊』(?)における“你納”の表記

 尾崎1992では、『清文指要全冊』という書物の中の「けったいな」“你納”の表記も報告されていた。「けったいな」というのは、「“你”+満州文字によるna」という表記である。
 この『清文指要全冊』は現在、天理大学図書館に所藏されているが、刊行年は未詳の稿本で、五十章の途中まで残っており、その順序は付表1からもわかるように『清文指要』よりも『清話百条』により近い。
 奇妙な表記は16個所登場する。『指要』と『自邇集』との比較は付表3の通りだが、この『全冊』にはまた你老,阿哥も多用されている。ほかに特徴的と思われる語彙には以下のようなものがある。

這每,那每,這每著,那每著,咱的,不咂,止於,咧,麼,來,吧,餑餑(煮餑餑)

 これらの語彙については、たとえば太田辰夫氏は以下のようなことを指摘されている。

・列擧以外の咧の用法は方言又は俗語であろう。(太田1995,p.39)
・北方語では你老が用いられるが北京語では用いない。(同上,p.249)
・餑餑は満州語ともいわれるが、正しくない。これは旗人語というべきであろう。また餃子のことを煮餑餑というのも旗人語である。(太田1988,p.311)
・僅か1例であるが不咱という助詞(吧の意味)が用いられている。これは『兒女英雄傳』に見え不則とも書くが、他の資料にはほとんどない。(同上,p.401)

 こうしてみると、『全冊』は旗人語あるいは古い北方語によって書かれているように思われる。いずれにせよ、いわゆる完全な北京語ではない。
 また、『全冊』はその配列が『清話百条』と異常に類似しているところから、『清文指要』よりも前に書かれたものとも考えられる。ただし実際にそれが書写されたのは時代がずっと下がるかも知れない。それは、“吧”の存在である。太田氏によれば“吧”という文字表記は清代には見られないという(太田1995,p.176など参照)。
 “你納”の表記は先に挙げた“你呢”の例もあるように、ゴンサルベスがその漢字表記を採用するまではどうやら不安定であったことがわかる。また、その語は旗人においてもまだ見慣れた言葉ではなく、当時の「新語」に近いものであったことが、この『全冊』の表記は暗示している。あるいは、次の太田氏の言われるような「旗人語」の一種であった可能性も考えられる。

 清代になると、旗人は満蒙漢をふくめ、北京の内城に居住することになった。以上のような理由から、旗人の間には特殊な方言が行われることになったらしい。基本的には漢民族の用いる北方語と大差はないが、若干の特殊語彙を有する。筆者はこれを旗人語とよぶ。(太田1988,p.309)

 旗人の用いる特殊語彙のうち、漢語と推定されるものを旗人語とよぶことにする。多くは称呼である。明代華北の方言が満州の地に保存され、あるいはその変化したものであろう。(同上,p.311)

6. 小結

 さて、本題の“您”である。
 たとえば、九江書會の『官話指南』(1893)での並列記載の中に以下のような対応が見られる。

您納
您 貴姓(1-1)

 この場合、右が北京で左が南京というのは、Mateerの『官話類編』(1892年初版)と同様である。もちろん、他の個所では您も使われてはいるが、しかし、少なくとも九江地方では您が北京の言葉という認識はないようにないように思われる。

 『官話類編』でも您は見えるのだが、たとえば次のようにある。

您納的少爺,不是在戶部有差使嗎。

你納這麼坐了,叫我怎麼坐呢。
你(222p)

 この您について以下のような注記がある。

 您 You, you folks. In Peking this word is used as a term of respect, – You, sir, or you, madam. It is also often read as if written 您納 , the na being spoken very lightly. In Shangtung it always includes a plural idea, and expresses no special respect. It never takes 們 after it.
In some places it is read nen2, in others nin2, and in others na3, and Southern Mandarin a nasal n. It is much more used in some places than in others.
(您は北京では尊敬の言い方として用いられる。それはまたしばしば、あたかも您納と書かれるように読まれるが、この時のnaは極めて軽く読まれる。山東ではこの語はいつも複数の意味を含み、尊敬は表さない。また、決して後ろに們を取ることはない。ある所ではそれはnen2と読まれ、あるところではnin2、あるいはna3、南方では鼻音のnと読まれる。それはある特定の場所でよく用いられる。)

 你納 or 您納 You, sir, you [my senior]. This form is exclusively Pekingese, and is explained as a contraction for 你老人家.
(この形は專ら北京語であり、你老人家の短縮形と解釈される)

 納 is sometimes added to 他 in the same way.

これらの記述はおそらくは『語言自邇集』のそれを承けたものであろうが、その音にnin以外にni-na,nen2,na3,nを示しているのは注目すべきである。ここではninの発生が示唆されているように思える。

 清代の北京語は明代のそれと断絶があるとは太田先生の言である。つまり、清代の北京語はその周辺の言語よりも明代の古い形を残しているということである。その一つの現れが恐らく二人称尊称である。

 まず、你儜(你能,你儂)から考えてみる。
 呉語に代表される南方方言では二人称尊称に[n-neng(nong,ning)]の系統が存在した。これを漢字で表記する際に、ある場合は[ni-neng]となるが、この[ni]は恐らくは語頭の鼻音を示すだけで意味はなさなかった。だからこそ『二十年目睹之怪現状』の注<注10>があるのである。日下1977では「你の方はいわば二人稱マーカーともいえるものではないか」と述べているが、これは多分当たっている。私はこれは語頭の口蓋化された[n]を代表しただけと考える。つまりは、[n-neng]である。また、錢氏のいわれるように、ある場合には後ろの音だけを漢字で表記して、“儜”とだけ表わされることもある。発生的にはこのようであっても、漢字表記が定着することによって、音が離れることもある。[ni-neng][ni-nong]さらに[ning(本来はnengであって、ningは恐らくは誤読)]の一人歩きである。「正音」類で「北の官話」として認識された“你儜”“你能”“你儂”“儜”はそういうものである。この最後の“儜”に対して、その後、明代以前に存在したの“您”という漢字が当てられたと考える。

   次に“你納”であるが、一方では、二人称の複数形にn-naが存在した。たとえば、游1988では呉語地区には[n-na]の音をもつ二人称複数形が広く見られている。また錢氏のいうように呉語地区では[-na]によって複数を示す方法<注11>(一種の屈折)も指摘されていた。複数形が尊称に変わるというのは世界の言語ではそれほど不思議な現象ではない。複数によって尊称を表す12ことに太田氏は否定的であるが、それを証明する強い根拠は見当たらない。そして、これも漢字表記としては[ni+na]あるいは後ろの音節だけをとった[na](Mateerのna3はそれを言っているように思われる)とならざるを得ない。ただし、それを表記する漢字はゴンサルベスに至るまでは定着しなかった。従って、『全冊』の書き手はそれを満州文字で表記せざるを得なかったのである。その後、[ni-na]の第二音節は[na]-[ne]さらには[n]となり、ここで[nin]が誕生する。そして、ここでも明代以前に使われていた“您”という漢字表記が当てられたというのが、私の「妄想」である。
 つまりは、“您”はn-neng系統とn-na系統の二つが後に一緒になった奇妙な二人称尊称ということであり、後者は「北京語」というよりはむしろ「旗人語」ということであるかも知れない。
 日下1977では“你納”と“您”の文中での機能にも着目していた。たとえば、『官話指南』あたりからは、すでに“你納”は「主格」にのみ用いられるようになり、他の機能は“您”が担うようになったと述べている。また、尾崎1992でもゴンサルベスの『洋漢合字彙』の“你納”について、「ともに、入る場所は文頭か文末で、挨拶語であるのは興味深い」と述べている。ただし、日下氏も述べているように、初期の“你納”にはそのような制限がないように見受けられる。さらには、上下関係や身分関係、職業などでもその使用法に制限があるようにも思われるが、これらはいずれも今後の課題としておきたい。 

<注10> 你儜,京師土語,尊稱人也。發音時惟用一儜字,你字之音,蓋藏而不露者。或曰:“你老人家”四字之轉音,理或然歟。 <注11> 『語言自邇集』には三人称の尊称として[ta-na]がある。

他納這些年的病,誰照應家裡呢。(問答二,108p)
t’a no, like ni na; a respectful form. (Part IV-107p)
t’a na, like ni-na, a respectful form; pronounced t’an-na.(第2版、217p)
<注12> 実は『語言自邇集』には俗に「初版改訂本」と呼ばれる版本が存在する。『清語階梯語言自邇集』と言われるものがそれであるが。六角恆廣1994によれば、この本は日本で翻刻されたもので、明治十三年(1880)に慶應義塾出版部から刊行されたものであるという。初版本とページ数等も全く同じであるが、各ページの欄外に改訂の字句が附されている。若干の誤字もあるが、初版本と一個所大きく異なる語がある。“您”であるが、「談論篇」の七十二の最初に次の文がある。

 老兄,您怎麼纔來,我等了這麼半天了,差一點兒沒有睡著了。

 この“您”は初版本も第2版でもいずれも“你”と作るところであって、「誤植」の可能性もなくはないが、面白いのは、この文に対する『清文指要』や『初學指南』などの原文である。

 阿哥你怎麼纔來,我只管等你們,幾乎沒有打睡。(清文指要)
 阿哥你怎麼纔來,我只管等你們,幾乎沒有打盹。(初學指南)
 阿哥們怎麼纔來,我只管等你們,幾乎沒有打盹。(三合語錄)
 眾位怎麼纔來,我等了個難幾乎睡著了。(全冊)
 大哥,你怎麼纔來,我只管等著你們,差一點兒沒睡
著了。(問答篇)

 つまり、ここの”您”は複数なのである。

(2000.8.4)

<附記>
 本稿は第1回近代言語文化接触研究会(1999.11.28,関西大学)で口頭発表したものを修正加筆したものである。また、『語言自邇集』初版は愛知大学の荒川清秀氏から、『問答篇』は京都大学の高田時雄氏から、『清文指要』等の満漢課本類は大阪外国語大学図書館のご好意により複写させて頂き利用できた。ここに記して感謝の意を表しておきたい。
<参考文献>
尾崎實 1965 「語言自邇集」解説 『語言自邇集語彙索引(初稿)』明清文学言語研究会会報単刊9
—– 1990 「ゴンサルベスの『洋漢合字彙』(1831年)-ポルトガル人が学んだ中国語について」『東西学術研究所所報』第50号
—– 1992 「“您”にかかわるいろいろなことがら」「近世語研究会」(1992.5.31)での発表レジュメ
日下恒夫 1977 「北京語における”nin”の生成」『關西大學文學論集』第26卷第2号
太田辰夫 1951 「清代北京語語法研究資料について」『神戸外大論叢』2卷1號
——- 1988 『中国語史通考』白帝社
——- 1995 『中國語文論集』汲古書院
高田時雄 1999 「トマス・ウェイドと北京語の勝利」「京都大学人文科学研究所創立70周年記念国際シンポジューム」(1999.11.19,京大会館)における発表レジュメ
游汝傑 1988 「各地呉語人稱代詞異同比較」「呉語研究國際學術会議」(1988.12.12.-12.14,香港中文大學)における発表レジュメ
六角恆廣 1994 『中国語書誌』不二出版