どうなってまんねん??
2004/01/28(水)
SARSに引き続き、今度は鳥インフルエンザ。2月中旬に上海に行く予定だったが、今回はやめておこうかと思っている。
また、最近えらく変なメールが多いと思っていたら、「Mydoom」という新種のウィルス。まあ、Macでは無害というから安心だが、それでも「削除」しないといけないから面倒極まりない。
一方でイラクへの自衛隊派遣もなしくずし的に行われ、現地では毎日テロが続いている。もちろん、タカ派の箕輪元運輸大臣がこの派兵は「憲法違反」として提訴しているし、自民党でも幹事長経験者が「反対」を明確に意思表示している。でも、これらも聞く耳もたずである。なにせ「国連は国を守ってはくれない」などというお方だから。
かと思えば、かの学歴詐称問題。自分が大学を卒業したかどうかも分からないというのは、どう考えても「分からない」。「そんなのあり?」
それにしても、痛ましいというか、これこそ「鬼畜米英」そのものが、岸和田の虐待事件である。僕は死刑制度には反対だが、こんなのは致し方ないとさえ思う。
目を職場に移せば、「改革」「改革」の雨嵐。そのうち、訛って「改革」が「改悪」になりそうである。「改革」は必要だが、何でもかんでも「改革」でもあるまい。「不易と流行」の弁証法をよく考えてみるべきだと思う。
ところで、時機を失したが、「荒れる成人式」について一言。
野原さんも書いていたが、毎年、「荒れる成人式」とかいう報道がなされている。
酒を飲んで喧嘩などというのは論外だが、ただ、「市長や議員の挨拶が長すぎる」とかいうのは案外まっとうな意見なような気もしている。だから土足でステージに上がって「アジ」るということまでは肯定しないが、それも一つの自己表現でもあるかも知れない。
毎日どこかで色んな式典が行われている。主催者の挨拶は一応の形式としてやむを得ない点があるが、来賓、特に議員さんの挨拶には確かに「へきへき」することもある。それを「我慢」するのが「大人」だという声も聞こえてきそうであるが、中身のない、単なる顔見せ的な挨拶に一体何の意味があるのだろうか。
挨拶は短く、しかも中身がなくてはならない。「寸鉄人を刺す」というが、挨拶こそそうであるべきだと思う。もちろん、長くても中身のあることもあるが、そんなのは誰だってできる。簡潔でしかも人の心をうつ挨拶、これができたらといつも思っているが、なかなか難しい。
来年の成人式には、実はこの挨拶が待っているのだが、心しておきたいと思っている。