「青春の詩」

きのう/きょう/あした


2004/05/16(日)

今日は毎年恒例の教育後援会。いわゆる「父母会」というやつだが、雨の中、4000人以上の父母が集まった。大学で「父母会」もないだろうと最初は思っていたが、こういうこともあっていいもののように最近は思っている。
ところで、今日はその後、ある先生の古稀記念パーティにも出席した。
その席で、専務理事が述べた「青春」の詩は久しぶりに感動した。
吉田拓郎にも「喫茶店に二人で入ってコーヒーを注文すること、ああ、それが青春」という「青春の詩」があって、それも好きなのだが、専務が暗誦したこの詩も(これまでも何度か聞いたことがあるのだが)じっくり聞くとなかなかいい。
今まさに「青春」真っ直中の人は「青春」を考える必要はないのだろうし、ことさらに「青春」を語ることもないのだろう。「青春」とは振り返って思うものではある。でも、この詩は全ての人が一度はかみしめてみてもいいのではないだろうか。

青春 サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman 1849-1924、邦訳 作山宗久)

青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の成年より60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦痛・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にとざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit backto dust.

Whether sixty or sixteen, there is in every human beingユs heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite whatユs next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

訳は他にもあるが、僕はこの訳が好きである。特に最後の「80歳であろうと人は青春にして已む(There is hope you may die young at eigthy.)」がいい。 私も「老ゆる時まで若くありたいもの」である。