「21世紀版『無援の抒情』ー『ジャスミンを銃口に』」

きのう/きょう/あした


2005/08/13(土)

今ここに私たちは「もう一冊の『無援の抒情』(道浦母都子)」を手にすることができた。現代版、あるいは21世紀版の『無援の抒情』と言ってもいいかも知れない。それほどに人の心をうち、質の高い歌集なのだ。
その書は『ジャスミンを銃口に』(幻冬舎)、作者は重信房子である。
重信氏については多くを語ることもないだろう。
「造反有理」「革命無罪」などとは言わない。それは立場の違いによって全くそのとらえ方は異なるのだから。
ただ彼女たちが私利私欲などではなく純粹に虐げられたパレスチナの解放のために闘ったということだけは事実なのだ。その「罪」と、パレスチナを「約束された土地」として居座り続ける人々や、その不条理には目をつむり、それに抵抗する人々をテロリストとして断罪し続けるものの罪の重さは比べようもないはずなのだ。
それにしても、この歌集を読んだとき日本人であったことを幸せに思うのだ。
「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」(易經・繋辭傳)という言葉があるが、たった31文字の凝縮された表現によって、何万字にも相当する意味の世界を作り上げることもあるのだ。余計な贅肉をそぎ落とし、それ以上には切りつめられない形式の中で、無限の広がりを獲得するということが。そのような表現形式を我々日本人は持っていたのだ。そこには彼女の人への限りない優しさと愛情があふれている。そしてそれは道浦母都子の『無援の抒情』と相通ずるものなのである。
たとえば以下の歌たちにはリッダで戦死した「君」への切ないまでの思いがつづられている。

本当の想いを告げたらいつのまにか夏雲のように去りゆきし君
爪先を波に浸してゆっくりと叶わぬ夢を語りし日あり
くれなずむ浜辺に立てば風にのりジャスミン匂うベイルートが好き
過ぎた日をさかのぼりゆけば君が居てわだかまる胸抱いてくれぬか
歌を詠み君を辿ればあの日のまま髮なびかせて君は立ってる
何度でも思い出の君に会いにいく時代をうたい希望をいだき
少しだけ意見のちがうそれだけで許し合えない若き日のあり
マロニエの道を下れば校舍よりビラかかえくる君にあえた日
あのころは望むなら何者にでもなれると言った君の輝き

独房にあっても人は確かに生きているのであり、季節の移ろいまでも感じることができることを次の歌は教えてくれる。

身体ごと眼となりて新緑を貪るわれは護送車でいく
感情をこらえる術は独房でオレンジの実に爪たててかぐ
採血に差し出す腕からいきおいよくわが実存のほとばしる朝
雨の日は静かに目をとじパノラマのパールベックに戻ろう今日は
湯船から片手のばして格子越し秋の落葉の一片拾う
ふるさとの方位も知らぬ冬の蝶わが哀しみの胸にとどまれ
鉄格子の数だけ千切れた太陽の光を浴びるわが初日の出
現身は空蝉のごと独房で世界の流れをじっと聞き入る
冬越えの獄のかたすみのローズマリー固き葉ふれれば地中海の匂い
風に舞う桜吹雪のひとひらの房に届きて春に触れたり

次の歌はまさに『無援の抒情』を彷彿とさせるものだ。

地を搖らし線路踏み行くジグザグのデモに託した二十歳の夢よ
御茶ノ水駅降り立てば水仙のかすかに匂う二月のバリケード
くつひもを何度も結び躊躇した君のかすかな笑み忘れられず
ふりむけば孤立の道を青春の証のごとくひた走りしわれは
「打倒せよ」と叫びし日々はこの国の勢いありて希望ありし頃

そして両親への想い。この親にしてこの子ありである。子の親としてはかくありたいと僕も思うのだ。

半世紀を込めし面会十五分母みつめつつとりとめもなく
わがために辛苦を受けし母なれど母ゆえにこそそれを語らず
母と会う取り調べ室若き日に娘の味方する丸き肩して
杖に頼り八十五歳の母来たるガラス越しにも手を重ね合う
「パンジーのえんじと黄色が咲きました」冬の獄から母への便り
祖国発つ朝にかけたる赤電話おだやかな父の声きこえる
世界中敵になってもお前には我々が居ると父の文あり
まっとうに生きてきた自負何よりも告げたき父はコスモスが好き
散る銀杏踏みしめていく風呂帰り父と私の長い影二つ
夕間暮母の死かみしめ獄舍から二センチ幅の空みあげおり
ありがとうもう一度言いたかった2005年3月15日母死す

いずれにせよこの夏は何度も読み返してみたいと思っている。