推定無罪

きのう/きょう/あした


2006/07/22(土)

先日「クローズアップ現代」でも取り上げられた介護殺人事件である。
その日、彼は母を車椅子に乗せ、京都の町を見せて歩いたという。
最後の親孝行である。
そして、その夜、桂川の河川敷に母を連れていったのである。

「もう生きられへんのや、ここで終わりや」
「そうか、あかんか」「康晴、一緒やで、おまえと一緒」
母はその子をしっかりと抱きしめたという。

認知症の母を介護しながら、月に数万しか稼げず、生活保護も受けられない。ガスも水道も止められる。
そんな彼がとった母親殺しを一体誰が裁けようか。彼は母親と「共に生きるために」死を選んだのだ。

「障害者自立支援法」なるものがある。
介護1割負担を決めた政治家どもにとって、1割負担は痛くもかゆくもないだろう。
しかしながら、父親は肝臓ガンで死亡。自分も足が不自由。生活保護も受けられない。そんな母親と障害を持つ娘にどのようにして生きていけと言うのだ。
「法」は「それでも生きろ」と言うだけで、「罪は罪」とするのだ。

私が大岡越前なら、いずれも「無罪放免」である。

その一方で、時給100万を豪語するセレブの整形美容医師がいる。
娘の「幸せ」のためと高級外車を買い与え、ブランドで身をまとう。
そして「シーズン毎に洋服は処分します。大体、400万ぐらいかな」と嘯くのだ。
そんな娘が誘拐され、犯人は逮捕された。誘拐が卑劣な行為であることは承知しているし、その罪は当然裁かれるべきである。
が、僕はこの親子に悪意こそ抱くものの、同情する気はとんと起こらない。
私にしたら、この母娘も「有罪」である。

いずれにせよ、この国の「状況」は末期的である。