子どもの心の叫びが聞こえないのか?

きのう/きょう/あした


2008/10/17(金)

全国学力調査の公表に関しての私の橋下知事への意見と教育委員のあり方についての基本的な考え方は、10/15付けの「朝日新聞」「私の視点」に掲載された。
そんな中で、結局、知事は公開請求に応じて、市町村別の平均正答率を開示した。紙切れ1枚である。(吹田市など非公表を決定した市町村は非開示)
また、それを産経と読売の2社は理由にもならぬ理由を付してそのまま紙面に掲載した。
この2社なら予想される当たり前のことで別に驚くこともない。これで「教育課題が明らかにある」というのだから笑止千万である。
学力調査についての「馬鹿騒ぎ」も一応これで一段落であるが、同じ日、橋下知事は別の暴挙を行っている。
門真市の道路建設をめぐっての、保育園の畑の行政代執行である。
子どもたちが丹精込めて作ったさつまいもの収穫までの「2週間待って」という園児や保護者の願いを無視してそれは行われた。泣きじゃくる子どももいたが、それに対して知事は「2週間早く収穫すればいいのだ」「2週間待てば、6.7憶の損失になる」「園児の涙を利用した」とコメントしている。
これが「子どもの笑顔を期待して」大阪の教育を変えると言う橋下知事の本質なのだ。
彼にとって、「子どもの笑顔」や「涙」など、自らのパフォーマンスの道具に過ぎないのだ。子どもの心の叫びを、彼には聞く耳など持ち合わせてはいないのだ。
自分の考えに同意できない者、反対する者、批判する者は、彼にとっては「悪」なのだろう。新しい府教育委員もそのような形で選ばれているのだ。
己の専門であるはずの弁護士の基本すらもわきまえていない輩が、他の分野で事を成せるはずはないのだ。