No more Nagasaki ! No Nuclear ! No War !

きのう/きょう/あした


2013/08/09/(金)

今日は長崎原爆の日だった。

灼熱の 8月の空に 鳴り響く 願いは一つ 長崎の鐘


ここフランクフルトは20度を切る涼しさというのに、家の者の話では、今日の日本はうだるような暑さだったとか。

太陽も 水をも溶かす 原爆も 燃やし尽くせぬ 平和(ひと)の祈り(こころ)は

毎年、この原爆の日はとにかく暑いのだ。でも、68年前の長崎はもっと「熱」かったろう。あの日、水を水をと求めた人々を悼んで、式典ではいつも「献水」の儀が行われるはずだが、せめて、その平和の祈りのこもった一杯の水で死んでいった人々の喉の渇きが潤うことを願うのみである。

太陽が この世に落ちぬ 11時02分 水を下さい 命の水を
お母さん 助けてこわいよと 泣き叫ぶ この声をこそ聞け 人にしあらば

我が子よと 父よ母よと 泣き叫ぶ せめて与えよ 一滴の水を

一方で、地球上で唯一このような悲惨な体験をした民族なのに、その教訓を少しも学ぼうとはしない輩がいる。なぜ胸を張って核廃絶、戦争放棄を叫べないのか。それどころか、今や、憲法を変えてまで集団的自衛権を主張し、フクシマを完全に見捨てて原発再稼働、輸出にやっきな状況である。
日本が核不使用声明に賛同できない理由は「いかなる状況下でも核兵器をしようしてはならない」ということが日本の安全保障政策と合致しないからという。
このことはつまり、この国が「ある場合には核兵器の使用を認める」ということ、そのためには、核武装を積極的に推進する、そういう立場を表明したということに他ならない。唯一の被爆国が、この声明に賛同できないという、なんたる状況なのだろう。

長崎で被爆した永井隆博士の次の言葉を今こそかみしめるべきであると私は思う。

平和を祈る者は、1本の針をも隱し持っていてはならぬ。自分がたとい、のっぴきならぬ羽目に追いこまれたときに、自衞のためにあるにしても武器を持っていてはもう平和を祈る資格はない(永井隆『平和の塔』)

長崎の原爆の日には2004年と2005年に続けて出かけている。特に、2005年は浦上天主堂の「被爆マリア像」が60年ぶりにその日に公開された。その時、私も初めて見たのだが、燒け焦げた頬、額は割け、両目も溶けて空洞になっているその痛ましい像からは「悲しさ」はあっても「憎しみ」の感情は全く伝わってこなかった。「憎しみからは何も生まれてはこない」被爆マリア像が語っているのはそれなのだと思っている。

腰の方はずっと温湿布をしているせいか少し良くなってきた。それと、今日はやはりウォーキングシューズが必要ということで街まで出て買ってきた。確かに、歩きやすい感じはする。明日から、ミュンヘンーザルツブルグという小旅行なのでちょうどよかった。