何とか
2013/08/20/(火)
今日は何とかここに来た目的を果たせそう。なにせ、どうやって文献に辿り着くかで頭を悩ませて、ドイツ人の友人や中国のここを訪れたことのある研究者に手当たり次第に聞いてみたが、糸口をつかめなかった。でも、マニュスクリプト部の係りの人の人に聞いたら一発。すぐに私の見たい物の調べ方を丁寧に教えてくれた。これが欧米のライブラリアンである。きっと、いちいち聞くので面倒なはずだが、嫌な顔一つせずに、本当に親切に対応してくれる。オンラインカタログでなくて、やはり紙媒体のもの(写真1-2)。これでようやく見たい資料のシェルフ番号も分かってあとはオーダーするだけ。
ここの図書館はある時期(1691年から1716年)ライプニッツが館長を務めていて、彼の収集した中国関係資料が収められているのだ(今回私が泊まっているゲストハウスは「Leibnizhaus」つまりライプニッツ・ハウスである)。量的にはベルリンやミュンヘンほど多くはないが、それでも面白い資料が集められている。
実はこれらを調べているときに、ドイツ国内の中国語・満州語関係文献の詳しいリストと内容、所蔵先のカタログがあることが分かった。これはこれまで知らなかったもので、今後、ドイツのこうした関係資料を調べるには必需品である。ただ関大の図書館に入っているかどうか?
さて、午後、ここに収められている主な中国関係のマニュスクリプトを全て出してもらった。刊本は今回は見ない。
今日見た中で「一番」は「ドチリナ」(写真4)だろう。こなれた中国語(文言白話混交体)、音註とラテン語の訳が付されている。
ところで、今日出してもらったマニュスクリプトを見ていたら、各文献に閲覧者、閲覧年月日を記載する用紙が入っていて、これまでその資料を見た人が分かるのだが、Mungelloとか北京外大の張西平や楊慧玲などの知った名前に混じって、私の以前の教え子の「Ibushi Keiko」の名前があって、大変嬉しくなった。彼女は大学院時代に1年間エアランゲンに留学中に来ていたが、確かその時に面白い図書館に行ったと言っていたが、ここだったのだ。
なお、ヨーロッパでこういうモノを見るとき、カタログでは一つのシェルフ番号だが、実はその中に沢山の別の文書が混じっていて、それらを1冊にまとめて綴じてそれにナンバーをふっていることも注意が必要だということを改めて感じだ。明日は残りの資料を続けて見る予定。
夕方、またしばらく町を散歩。いくら見ても飽きない街並み。どの家も、どこか歪んでいる。黄斑変性で歪んで見えるのかと思ったが、絶対、誰が見ても歪んで見えてるはず(写真5-7)。不思議な町である。
イスラエルの高官の原爆式典「うんざり」発言。あんた方だけには決して言われたくはない。「侵略行為の報い」だって?だったら、あんたの国は一体何発原爆を落とされることになるのか分かっていらっしゃるのか?地球上で唯一、現在もなお侵略行為を続けてしかも居直っているのはどこの国なのか。「約束された土地」だって?よく言いますよ。そこに住んでいた人たちを追っ払ってなにをかいわんやである