「大朝日の実態」

きのう/きょう/あした


2006/04/17(月)

今日発売の「AERA」にはiPodを利用した授業が紹介されている。そのこと自体には別にとやかく言うことはない。ただ、その取り上げ方、具体的には、その記事のタイトルと中身である。
タイトルは「東大、慶應など iPodでどこでも授業」
そして、中身は、慶應や東大などの実施例が中心で、わが関西大学はたったの2行。
「関西大学は中国語会話をポッドキャストで一般に公開している」
実は、私が怒っているのは理由があるのだ。
この件について先日、アエラの担当記者から私のところに取材が入ったのだ。それで、幾つかの質問に対してメールで詳しく説明をしておいた。
また先方は、「メール頂いたらこちらから連絡する」とあったのに、その返事もない。
それで、私から記者に電話を入れて、補足の説明もしておいたのだが、その結果の記事がこれなのだ。
慶應の事例はともかく、東大のコンテンツにそれほど新鮮味や内容があるとは思われない。単に、ノーベル物理学者の講義があるだけである。ところが、その「名前」がアエラの記者には何よりも重要なのだろう。
これが天下の朝日の実態である。「権威主義」の何者でもない。
そういえば、先だっての宮田さんの学位取得の記事の取り上げ方でも同じだった。読売の力の入った記事に比べて、朝日は単に「紹介してやる」といった「おざなり」なもの。
これだから朝日はダメなのだ。自分たちこそジャーナリズムの本道と考えているのだろうが、記者たちのあの横柄な態度は一体何なのだ。
やはり、この国のジャーナリズムはとっくに「死んで」いたのだ。
なお、担当の記者には一応このことをメールしておいた。