賞味期限

きのう/きょう/あした


2007/04/10(火)

ものにはタイミングというか、「賞味期限」というものがある。
その時を過ぎれば、状況も変わるし、「気の抜けたビール」のようになってしまう。
今回の「私の視点」の投稿はまさにそれであった。
朝日に最初に送ったのが2月の初め。向こうの担当記者から返事が来たのが2月8日。
それから何度もやりとりをして、書き直すこと20回は下らない。
それでも、我慢して完成させたのが3月末。
それから毎日、今日は載っているかと新聞をひろげるのだが一向にその気配すらない。
その間、高村薫や田原総一朗などの文章はタイムリーに載せられている。
確かに、新聞の記事というものが向こう1ヶ月ぐらい先まで決まっていることは知ってはいるが、それにしても、もう2ヶ月が過ぎている。
高村薫や田原総一朗と同格に扱えとは言わない。しかし、これはまさに「朝日の体質」を示しているものと私は考えている。そもそも、文字数や文章の書き換えをここまで要求するなど、人を見下した態度そのものではないか。文字数について言えば、これまで掲載されたものは、必ずしも1200字には収まってはいない。特に、「有名人」の(おそらくは)依頼原稿はそうなってはいないのだ。まったく権威主義の何者でもないだろう。
以前に同じ朝日の『AERA』の記者とその記事に対して「大朝日の権威主義」に意見を言ったことがある。
大朝日の実態
大朝日の実態(続)
しかし、結局はこれが朝日の持つ本質的な体質なのだ。
読売や産経よりはましというだけで、日本の新聞、いやジャーナリズムなんてこんな程度なのだ。
選挙には20歳の時から見切りをつけているが、この国のジャーナリズムにもどんな期待など持つべきではないのだ。そんなのは「幻想」にすぎないのだ。とっくの昔にこの国の「ジャーナリズムは死んだ」のだ。