事業仕分けに関して(憂楽帳氏にもの申す)
事業仕分け第2ラウンドが始まっている。
昨年度は、「2位ではだめなんですか」という発言が話題になった。しかしながら、あの発言は、ご本人も決して本心からそのように思っているわけではないはずだし、そもそもそれにまともに反論も出来ない方がおかしいのである。それに対して、ノーベル賞受賞者や旧帝大と某有名私学の学長一同が、こぞって声明を出したが、その事は重大だと私は思っている。そこに集まった大学は、日本の他のどこの大学よりも「(予算を)持てる大学」なのだ。それは、権威主義以外の何ものでもなく、声の大きい者、力の強いものが勝つという今のこの国の状況を象徴しているように私には思えるのだ。ノーベル賞受賞者などは本来そうした権威主義からは最も遠くにあるべきはずなのに。しかも、そういった力に押されて予算を復活するという当局の軟弱さ、だらしなさにもあきれてしまう。だったら最初から見直しなどしなければいいのだ。
ところで、もう随分前(1/12)のことであるが、この発言に絡めて本紙の「憂楽帳」氏がハーバードの図書館について述べていた。その文章を拝読して、私は、この御仁はおそらく図書館をまともに利用したことなどないのだろうと思った。ハーバード大学図書館の優れたサービスを取り上げるのはよい。しかしながら、そのことと事業仕分けあるいは「2位ではだめなんですか」という発言とは全く無関係である。日本の図書館にハーバードの何十倍、何百倍の予算を付けたとしても今の日本の図書館の状況は全く変わらないと断言できる。つまりは、それは予算とか設備投資とかとは無縁のものであることをこの御仁は分かってはおられないのだ。氏は「2位ではだめなんですか」ということに関して「「その発想はあまりに貧しい」と述べているが、その言葉はそのままそっくり憂楽帳氏に帰すべきものなのだ。その発想こそ余りに貧弱なのだ。
私は毎年ハーバードを始めとして欧米の図書館を何度も利用しているが、そこでいつも感じるのが日本や中国の図書館の「秘蔵主義」である。東アジアの図書館は総じて利用者の便宜に全く供していないのだ。憂楽帳氏が述べているのはインターライブラリーローンというやつだが、そんなサービスは今や日本でもやられていることで、決して珍しいことではない。そんなことよりいつも問題なのは、いわゆる「貴重書」「レアブック」の閲覧や複写サービスである。自分の大学を例にしても、貴重書は数日前にあらかじめ申請をしてその許可を得なければいけないし、また複写も普通には半分までしか認められないのだ。貴重書の著作権はすでに失われているものがほとんであるが、所蔵権とか何かと理由を付けて全本複写は拒否するのだ。
これに対して欧米の図書館では、紹介状もなしに飛び入りで行っても、基本的には即現物を閲覧させてくれるし、複写もほとんど全ページが可能である。つまりは、「本は使うためにある」という思想が徹底しているのだ。先日も、ハーバード大学イエンチン図書館の館長を招いて講演をしてもらったが、その時の「図書館は博物館ではない」という館長の言葉は印象的であった。この書籍や図書館に対する基本的な考え方の違いが欧米と東アジアには存在するのである。このことを問題にしない限り、いくら予算を増やしたところで、真に利用者のための図書館にはならないのだ。貴重書はもちろんその保存に努めなければならないが、それが「秘蔵」であってはならないのだ。「秘蔵」は「死蔵」であり、それは書籍の本来の使命ではないはずだ。むしろ積極的にデジタル化していくことの方が将来にわたっての保存にもつながるのだと私は考えている。
こうした根本的な議論を抜きにして、ただただ「2位ではだめなんですか」ばかりを取り上げて鬼の首でも取ったかのように考えている憂楽帳氏は、ことの本質を全く分かってはいないのだ。こうした日本や東アジアの図書館では氏の言われる「知の磁力」なんぞ、とっくに失われているのである。