いつまでも

きのう/きょう/あした


2006/08/22(火)

“Ken, supper!”
“Ken, Program!”
“Have a good day!”
“You are a crazy professor!”
“You are very smart!”
・・・・・・

バーバラ・マルチーズの声が今も私の耳元で聞こえてくる。
彼女と別れてもう7年が経ったのだ。
この間、最初はクリスマスカードを送ったりしていたが、一緒に暮らしていたときから「私は手紙を書くのが嫌い」と言っていた彼女からの返事はいつもなかった。
でも、「便りのないは無事な証拠」と、彼女の健康と長寿を祈っていた。
先日、今、ボストンにいる沈先生に一度バーバラさんを訪ねてみて欲しいとお願いしていたのだが、沈さんからのメールで、彼女が昨年亡くなったことを知らされた。
別れたときがすでに75を過ぎていたのだから、そういうことも覚悟はしていた。
でも、実際にその現実を知らされると、やはり人生無情を感じざるを得ない。
沈先生は、今は主が変わっていた家を写真に収めてくれたが、この「白い家」でバーバラさんと一緒に過ごした約1年がまるで昨日のことのように想い出されてくる。
もう一度会いたかった。もう一度彼女と話がしたかった。
僕の「ハーバード日記」は彼女に送ってあったが、日本語の分からない彼女は、新しく入ったホームステイの学生たちにいつも嬉しそうに、自分の息子をほめるように「これは、ここにいたkenが書いてくれた本なんだ」と自慢していたという。
けちで、頑固で、自分がもっとも正しいという、典型的なアメリカ人のようだったが、実はイタリアからの移民で、若くしてご主人に死なれた彼女の生きるすべだったのだと僕は理解している。
僕がマッチで指をやけどしたとき、「Crazy boy!」と言いながら薬を塗ってくれた彼女。
車で散髪屋に連れて行ってくれて、その店員に「この子はね、私の可愛い息子なんだよ」と言っていた彼女。
パーティーの時には、必ず僕を隣に座らせた彼女。
クリスマスや正月には娘さんの家に一緒に連れて行ってご馳走してくれた彼女
彼女がカルフォルニアに旅行に行く朝、早起きして見送る私に「Kenなぜこんなに早く起きて何をしているの?」と不思議がっていた彼女。
20歳の時に母を亡くしていた僕にとって、バーバラはもう一人の「母」だったように思う。
Man is mortal.とはいうが、悲しい知らせだった。