ビビアンの死
2009/09/07(月)
ビビアンあの子なりに精一杯生きた12年だったはず。
あの子なりのプライドと優しさを持ちながら。
人に媚びない子だった。
背筋を伸ばした、凛としたところのある子だった。
わずか2.5kgの身体でその与えられた生を最後まで生き抜いたのだと思う。
ローマから帰国し、自宅に戻ると、妻がそっと出てきて「ビビアンが危ない状態だから、興奮させないで、そっと入って」と言う。今朝、散歩の時に突然、心臓が止まって動かなくなったそうだ。
医者に連れて行ったら「非常に危険な状態。とりあえず注射で様子を見る」ということだったらしい。
でも、僕がそっと部屋に入ったのにも関わらず、僕の帰宅を気づいた彼女は、よろめきながら走り出てきて、いつもと同じように(回数はいつもよりは少なかったが、)「わん・わん・わん」と3度吠えたのだ。
でもその後は、心臓をハアハア鳴らしながら苦しそうに、その場に立ちつくしている。
きっと、ありったけの力を振り絞って、僕の帰りを迎えてくれたのだ。
舌は紫色に変わっていて、歩くこともままならないし、伏せもできないような状況。
それでも、私が荷物を開けるのを、近くによろめきながら寄ってきて眺めたり、あるいは、昼食を取るのを、じっと見つめている。
「ビビアン、立ってないでお座り」と言っても、座ろうとしない。恐らく、座ると心臓に負担がかかるのか、あるいは、もう何をしてもしんどかったのだろう。
機内で眠れなかったので、横になって少しうとうとした時、ビビアンが突然か細い声で「泣いた」。
ビビアンがこんな声で泣くのは初めてだ。ほんとうに、「お父さん、痛いよ」と言って泣いているのだ。
そして、それからしばらくして、口から鼻から血を流して、心臓の鼓動が止まったのだ。
でも、妻が抱きかかえると、またいったんは心臓が動き出した。目はほとんど見えていないようだったが・・。
それから少しの時間がたち、妻が獣医の在宅を確認しに出てまもなくだった。
それまで、弱いながらも、ある間隔で動いていた心臓が動かなくなった。心臓をさすっても、「ビビアン、頑張れ」「起きなさい」と言っても何の反応もしないのだ。目はあけたままで。
これが彼女の最後だった。
一言も語らず、逝ってしまった。
この世に生を受けて生まれてきたのだから、彼女だって言いたいことは山ほどあったはずなのに。
苦しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、一杯あったはずなのに。
それらを全て胸にしまったまま、逝ってしまったのだ。
きっとビビアンは、僕がローマから帰る日を知っていたのだと思う。
その日を待って、彼女は旅立ったのだ。
帰ってからも、ずっと僕の隣を離れようとはしなかったのは、僕に最後の別れを告げていたのだ。
人は言葉を話せるけど、本当に、心を伝えあうことができているだろうか。
実は犬の方が、言葉はしゃべれないけど、心を伝え合えるし、わかり合えているのではないかと思うことがある。
妻は「ビビアン、今度生まれてくる時は、人に生まれてきてね」と言うが、やはりビビアンは次の世も犬であった方が幸せかも知れないと思ったりもする。
生あるものは必ず死すべきものであるが、その生の意義は様々である。
その生を全うする時、せめて、涙してくれる人があればと願う。
はかなきは命なり。
合掌