李香蘭
2007/02/13(火)
昨日と今日の2夜連続で放送された「李香蘭」を見た。
主演の上戸彩はなかなかいい。以前見た「あずみ」もよかったが、若手女優の中では、長澤まさみと共に好きな女優の一人である。どちらも、これからますますいい女優になるような気がしている。
ドラマの中で唱われる歌は恐らく上戸彩本人が歌っていると思うが、彼女は歌もうまいのだ。
さて、この「李香蘭」だが、やはり脚本がいいのだろう。「赤い月」でもそれを感じたのだが、竹山洋というのはただ者ではない。(http://http://keiuchid.sakura.ne.jp/2004-0512/)
このドラマでは中国語もふんだんに使用されているが、日本人の俳優も結構いい中国語を話していた。役者というのは、語学をやらせてもかなりのレベルにまで達するものなのだろう。
李香蘭=山口淑子は、自民党から参議院議員になった時は、「なぜあなたも、自民党からなの」と感じたし、人寄せパンダに過ぎないと思っていたが、今日のドラマを見たり、彼女の小泉靖国参拝に対するコメント(http://www.tokyo-np.co.jp/yasukuni/txt/050814.html)を読んだりすると、実は彼女の中国観や歴史認識というのは、極めて「まとも」であることを再認識した。
ドラマの中でも出てくる「一等国民が三等国民の服を着て恥ずかしくないのか」という日本人入管の言葉に対して、彼女は「祖国の人々が、私の生まれ育った母国の中国を見下すことが悲しかったし、そういう日本が嫌いでした」と書いているが、この国の近代化における「脱亜」=アジア蔑視が集約されたこの言葉を彼女は正確に受け止めているのである。
あの頃、多くの日本人は「五族協和」とか「興亜」というこの国の国策を純粋に信じて、中国の人と共にという「善意」で中国に渡ったことは僕も理解できる。僕の父(満州開拓団)だって多分そうだったのだと思う。しかし、それが中国人にとっては、「有り難迷惑の善意」に他ならず、あくまでの「こちら側の勝手な論理」だったことを僕たちは素直に認めなければならないのだ。
「悪の道は善意によって敷き詰められる」ということを。
李香蘭の命を救ったのは、一人のロシア人の友人だった。しかも、その友人の兄は例の731細菌部隊によって、人体実験で殺されているのだ。
このような事実を日本人は認めないといけないと思う。
「歴史認識」を学ぼうとか、南京の虐殺は「幻」とか、今の歴史教科書は「自虐的」だとか、そんなことはもうやめようじゃないですか。
歴史的事実を認めることは決して「自虐的」でも何でもないし、たった一言、「申し訳なかった」と言えばいいことなのだ。そこから新しい関係が始まるのだから。
そんなことをこのドラマを見て改めて痛感した。